石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第十節 佛教

本願寺末寺の起りたる後、門主と門徒との關係頗る密邇し、傳道布教の方法亦極めて利便なるを得しかば、領内の庶民は十中八九皆この法流に歸し、何等政教間に重大の問題を惹起することなく、稀にの干渉したるもの唯一向宗東派に起れる泣念佛事件の如きあるを見るのみ。泣念佛の趣旨とする所果して如何なりしかは、今詳かにこれを知ることを得ずといへども、思ふに流涕號泣するが如き節調を以て念佛を唱へたるものの如く、殊に能登に於いて甚だしく行はれしなり。この事敢へて法令禁止する所にあらざりしが、稍常軌を逸するを以て不可なりとなし、寛文・延寶の頃命じて停止せしめしことあり。然るにその後尚終熄せざりしを以て、元祿五年は更に能登一圓に對して嚴に禁令を布きたりき。左記文書は口郡即ち羽咋・鹿島二郡に關するものにして、三島彦右衞門は寛文七年より延寶五年に至る間郡奉行たりし人とす。

 一、先年三島彦右衞門被吟味候、一向宗東方於談合泣念佛と申儀、今以少々御郡方に有之由に相達候。尤相背儀に而者無之候得共、惣而ヶ樣之儀御郡方御停止爲候。
 一、右之類、輪島・大谷・長橋・馬緤・飯田・蛸島に別而有之由申候。其旨相心得急度可申付候。
    申六月十四日(元祿五年)                      今 井(口郡奉行) 源 六 郎
                                大 石 彌 三 郎(同)
      口郡十村中え
〔觸留〕