石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第十節 佛教

寛永十二年淨土宗一喝爭議のことあり。事甚だ輕微、特に之を擧ぐるに足らずといへども、偶以て平穩無事なる宗門内の惰眠を覺醒せしなるべしと思はる。此の年六月馬廻組に屬する士飯尾權右衞門の妻死したりしが、素より淨土宗徒なりしを以て、卯辰如來寺に於いてその葬儀を擧行せり。然るに夫權右衞門は禪宗の檀那なりしが故に、寶勝寺千岳諷經の席に列りしが、この日如來寺の住持玄文引導し終りて、大聲一喝その松明を投じたりき。千岳之を見て大に怪しみ、後に權右衙門の家に至りし時語りて曰く、抑一喝は我が宗祖以來血脉相傳する所の秘法たるに、曩に玄文の之を唱へしもの、他の妙語を假りて得脱の功を爲さしめんと欲せしか。將た我が傍に在るを見て故らに模倣して揶揄せんとの意に出でしか。思ふに我知我見我愛我慢は佛の戒むる所なり。今玄文談義に長じて世人の推賞する所たるを恃み、興に乘じて專恣放埒の行あるもの、偏に法の邪魔といふべきなりと。既にして千岳の言玄文の聞く所となる。玄文大に怒りて曰く、千岳は賣僧なり。彼僅かに三體詩・江湖集・風月往來の類を解して、幼童の尊敬を受くるに過ぎず。曷ぞ衆生濟度の重大事を知るあらんやと。因りて八月彼岸會の法語に托して、日々千岳を誹謗罵倒せり。爾後二宗の檀徒等隙を生じて相諍論するものあるに至りしかば、千岳も亦默過すること能はず、屢使僧を派して書を與へ、互に辯難して是非を決せんごとを求め、又之を藩吏に謀れり。藩吏、この年利常光高二侯が江戸城修築の爲に在府し、且つ宗論は幕府禁ずる所たるのみならず、濟度利生を職とするものゝ爲すべき所にあらずとして之を許さゞりしかば、千岳は是に服して遂に爭はざりき。而も坊間には千岳如來寺に至りて法問を試みんとすとの説盛に行はれしかば、如來寺にては談義僧の強辯なる者を集め、聖經を繙き祖師の言を引き、以て應戰の準備に忙殺せられたり。後時日を經て騷擾自ら鎭靜す。而して蘘に千岳玄文との往復したる書は、好事者傳寫して一時玩賞せり。