石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第十節 佛教

永光寺の門末に羽咋郡白瀬の豐財院あり。亦瑩山紹瑾の草創せし所なりと傳へ、本寺に藏する血書大般若經六百卷は月澗義光の發願によりて成るものなり。月澗は越中の人、白子氏、初め法を卍叔に受け、貞享年中豐財院第十一世に住す。既にして元祿七年七月越中氷見光禪寺の請によりて晋山し、荒廢せる堂宇を復興したりしが、同十五年九月を以て示寂したりき、時に世臘五十。月澗最も大般若經を尊崇し、自ら手指を刺して血を流し、貞享二年四月より初めて元祿九年十一月に至る間に三百一卷を書寫せり。月澗又もと羽咋郡矢駄村に在りし木造聖觀音・馬頭觀音及び十一面觀音の三體を遷して之を豐財院に安置し、その背部に『三觀音之内。元祿元年戊辰三月吉日奉再興弘法大師御作。爲月妙林菩提也。施主加納屋與兵衞。白石山豐財禪院般若臺、現住光月澗在判』の文を朱書す。大正十三年八月國費に指定せられしもの是なり。血書大般若經は、後に光幢本瑞その志を嗣ぎ、元祿十六年正月より寶永六年五月までに第三百二卷より第三百十八卷に及び、又享保五年大仙は第三百十九卷・第三百三十卷・第三百三十一卷を、循志は第三百二十卷・第三百二十二卷・第三百二十四卷・第三百二十六卷・第三百二十八卷を、慧覺は第三百二十一卷・第三百二十三卷・第三百二十五卷・第三百二十七卷・第三百二十九卷を寫し、その後この擧暫く中絶せり。然るに月澗四世の法孫に靈長あり。字は規外、豐後の人、小田原氏より出づ。靈長亦血書大般若經の繕寫を發願し、元文二年二月第三百三十二卷に筆を起し、その後寛保三年には豐財院第十七世に居り、延享元年には永平寺に瑞世し、同二年には金澤の鶴林寺に移りしが、常に初志を棄てず、延享三年五月に至りて第六百卷を終へたり。是に於いて同年八月四衆雲集して慶の爲に大法會を催し、天徳院の大義宗孝は卷末に血書大般若經の成りし所以を録せり。但し宗孝の記する所、今之を血書大般若經各卷の奧書に徴するに聊か誤謬あり。規外靈長は寶暦六年五月を以て寂す。
血書大般若經縁起
 能登州羽咋地白(瀬)石邑豐財禪院者。故瑩山瑾祖手闢之地。而爲洞谷之隸矣。貞享年中月澗光和尚重興住持焉。光老嗣法於卍叔越中州白子氏也。夙信般若願血書。因扁所居般若堂。民傳稱之猶如固傳也。惟夫血書六百軸者。光老始於貞享乙丑孟夏日。乃瀝十指之鮮丹。漸々書寫。屆元祿乙亥秋七月。三百軸玆終矣。時有光禪請。迫巳起應之。堂宇一新百廢倶擧。不幸俄爾化去。世壽五十歳。其徒本瑞及徒屬。奮志繕書凡三十卷。其志操孝情最可嘉哉。厥後三十年絶無繼者。玆有四世法孫規外長公。偶謁陽春山・湛全源二祖叔。懇乞寫之。二叔熟聞長公住靜於甲州稻田邑觀音堂。血書蓮經二部及梵網等諸經十七種二十餘卷。且在越前州今濱村正法寺而血書華嚴八十卷也。撃節目。長公碎身深信果如是。則成於先師未了之縁也必矣。隨喜勸發合掌而謝之。乃以元文丁巳仲春。刺血於般若臺毫書寫。至于延享丙寅仲夏。二百七十卷功畢擲毫。前後六十二年。既得一部完全。可謂難得難遇之大法寶現出於世間矣。是年八月十九日。四衆雲集慶。轉讀轉送之次。特令宗孝擧揚宗乘亦記之。且長公豐後州國崎郡小田原氏子也。元祿戊寅十一月某日生焉。年十一受業於郡之東光月庭山公。二十一遊方受戒東昌顯隱之。尋參悟無得曉天巖。縁契永建華嚴海公。親得從上旨訣焉。元文丁巳冬表率于寶圓寂庵光公會。寛保癸亥冬初住豐財。延享元甲子秋瑞世永平。翌乙丑仲春移住于府之鶴林。維時延享三年丙寅秋八月十九日。見住加州金城金龍山天徳禪院大義宗孝和南謹識。
〔血書大般若第六百卷後記〕

血書大般若經 羽咋郡北邑知村豐財院