石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第十節 佛教

寶圓寺は舊と越前國高瀬に在りしものにして、前田利家の府中に治せし時、こゝに嚴慈の靈牌を安置し、忌辰には必ず詣でゝ冥福を祈りたりき。時に寺僧に大透圭徐あり、利家圭徐に參禪問法す。一日利家夢に自ら白鳥となり、北方に向かひて翺翔せり。利家之を圭徐に告げて吉凶を知らんと欲し、駕を命じて高瀬に赴きしに、途にして圭徐利家を訪はんが爲來るに會せり。利家具に夢中の状を語る。圭徐驚きて曰く、衲も亦侯の白鳥となりて北に飛ぶを夢みたり。是を以て之を侯に告げんが爲に來りしなり。これ堂侯の久しからずして封を轉じ、大國を治するの奇瑞ならずや。他日この事若し實現せば、願はくは衲に命じて領内一宗の惣録たらしめよと。利家之を諾す。是を以て利家能登所口に治するや、則ち郊外に寶圓寺を創め、圭徐を招きて之に居らしめき。後に長齡寺といへるもの是なり。次いで同十一年金澤に移るに及び、また寶圓寺を建てゝ圭徐を開祖とせり。その寺地一萬一千六百坪に亙り、供養米草高二百二十三石二斗五升を受け、前田氏最初の香華院たり。元和元年檢地の際寺領減じて二百十三石六斗となりしも、後大坂の役に於ける戰死者を弔はんが爲別に祠堂寄進し、士民に貸附利殖せしめたりしを以て、法輪食輪並びに輾轉の頗る自在なるものありき。降りて前田綱紀の時に至り、祖宗の爲に五廟を建てんと欲し、五十川剛伯朱舜水に遣はして唐土の制を問はしめき。舜水屢辭せしも可かれざりしかば、乃ち古制を繹ね、之を本邦の機宜に稽へ、諸侯五廟圖説を作りて之を上れり。是に於いて綱紀寶圓寺再建の志を決し、元祿四年自ら記したる大願十事の中に之を載するに至れり。寶圓寺は是より先寛文九年に修築せられしものにして、爾後僅かに二十二年を經たるに過ぎず、而して夙く改造の議ありしものは之を唐土の制に據らしめんと欲したるに因る。しかも當時別に瑞龍寺天徳院及び如來寺改築の企ありて、瑞龍寺利長の菩提所たり、天徳院將軍秀忠の女なる利常夫人の菩提所たり、如來寺は將軍家光の養女にして綱紀の生母たりし清泰院の牌を置く所たるが故に、勢先づその工に從事せざるべからず。是を以て利家及び利常の靈牌を安置する寶圓寺は、遂に改築を實行し得ざりしものゝ如く、而して寛文九年の堂宇も亦明治元年祀融のに罹り、今や昔日壯嚴の状亦見るべからざるに至れり。