石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第九節 兵學

かくて西洋新武器の精鋭なること漸く認めらるゝに至りたると共に、一面外交の警報屢傳はりしかば、は在來の異風と稱して鳥銃を武器としたりし足輕以外、嘉永六年別に西洋流火術方なるものを置きて軍備を充實し、更に翌安政元年その教育機關として壯猶館創設し、銃炮の操法を藩士の子弟に傳習せしむるの傍ら、西洋兵書を研究するが爲に飜繹及び校正方を置き、叉西洋語學の普及を計るが爲に教授方を置けり。壯猶館大橋成之の畫策したる所にして、最初の棟取も亦成之自ら之に當りしなり。然れども成之及び河野通義加藤九八郎等は、軍に先進の説に聞きて銃炮火藥若しくは炮臺築造に關する一般知識を有するに止り、自ら蟹行の書を讀み鴃舌の語を解し得たるにあらず。是を以て壯猶館に於ける飜譯方又は教授方は、凡べて蘭法醫の力を假らざるべからざりき。黒川良安が同の創立事務に參與したる後飜譯方となり、後文久三年軍艦方御用を命ぜられたる、津田淳三が軍器取調係に加ふるに飜譯方及び教授方となり、次いで命によりてセバストポル戰記を譯したるが如き、或は歩兵操典の飜譯が良安の門人にして老臣長氏に仕へたる明石昭齋の努力に成れるが如き、皆この間の事情を語るものにして、醫師が一般科學の進歩に多大の功績ありたると共に、兵學の發達にも亦最も重要なる地位にありしことを忘るべからざるなり。前記の外壯猶館教師には、外より聘せられたるものに佐野鼎あり。藩士鹿田文平あり、安達幸之助あり。文平・幸之助二人に學びて飜譯方となりたるものに大屋愷敆あり。是等は皆末の軍政に參與し、兵學の研究に貢献せしこと少からざるものとす。今その略傳を掲ぐ。

安政二年金澤泉野調練圖 金澤市岸秀實氏藏

 
 

安政二年金澤泉野調練圖 金澤市岸秀實氏藏