石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第八節 科學

吉田長淑江戸の人なり。諱は成徳、字は直心、駒谷又は蘭馨と號す。幼にして學を好み、幕府の醫官土岐長元の門に入りて漢法を學び、後桂川甫周に從ひて蘭學を修む。是に於いて蘭書に就きて内科を研竅すること年あり。當時蘭法醫は、皆外科を主として傍ら内科に及びしのみ。是を以て物議屢起りしといへども長淑は敢へて意を枉げず、遂に能く良醫の名を擧ぐるに至れり。文化七年前田齊廣宇田川玄眞の推薦により長淑を聘して醫となし、歳俸三十口を賜ひ、翌年又別に年額二十金を與へて飜譯の資に充てしむ。之より長淑益譯述に努力し、泰西熱病論七卷・同後編五巷・内科解環十五卷を著せり。文政七年齊廣金澤に在りて復病み、急に長淑を召す。長淑即日途に上りしが、越後高田に至りて自ら疾を發し、金澤に着したる後八月十日を以て歿したりき。享年四十六。因りて遺骸を小立野棟岳寺に葬る。