石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第八節 科學

次いで文化五年前田齊廣、前侯治脩病を診せしめんが爲、宇田川玄眞を徴す。玄眞は作州津山侯に仕へて江戸に住したる蘭法醫にして、蘭法醫術の我がに試みられたること實にこゝに起る。玄眞この年十二月八日金澤に來り、堤町の旅に泊す。隨ふ所門人藤井方亭を初とし、若黨・藥籠持・長刀持・挾箱持・陸尺に至るまで凡そ十人を算す。玄眞治脩病を診し、翌六年二月一たび津山に歸り、次いで江戸に赴き、同年九月再び金澤に來るや、亦方亭を伴ひたりき。齊廣固より蘭法醫祿するの志あり。而してその意玄眞の來仕せんことを欲したりしといへども、彼が既に津山侯の廩米を食むを以て果すこと能はず。遂に玄眞の請を容れ、方亭及び吉田長淑二人をして代り仕へしめたりき。の制、藩侯に藥餌を進むるとき、必ず一人をして之を主り、一人をして之を監せしめしが、從來の國手未だ蘭法を辨ずるものなきを以て、同時に二人を祿したりしなり。

 文化五年八月津山御供中(宇田川玄眞)、松平加賀守殿御隱居肥前守殿(治脩)御病氣に付診察御頼相成度旨、御國(津山)許へ申來候に付、加州金澤へ罷越、宰相殿(治脩)御療治も仕、御快方に付翌年[文化六年]二月又津山へ歸着仕候。是年五月、江戸御供に而歸着仕候。同年八月宰相殿又々御不例に付再御頼に相成、金澤へ罷越、翌年(丈化七年)二月江戸へ歸着仕候。
 前年加州より百五十枚・加賀二十反、御隱居より五十枚別に金百兩。是年は二百放・金百兩。御隱居より八丈三反・三十枚。此時藤井方亭吉田長淑兩人、加州へ三十人扶持にて被召出。長淑は義弟と致し、方亭は門人なり。
〔宇田川家譜〕