石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第八節 科學

叙上の外、大聖寺藩の人に樫田玄覺あり。玄覺諱は命平、東巖と號す。父橋本一閑、初め小境氏に養はれたる時玄覺を生めり。是を以て玄覺は幼名を小境萬太夫といひしが、後に醫樫田道覺の女壻となる。玄覺聰明強記、二十五歳にして京師に遊び、醫經七部の書を堀元厚に、本草學を松岡玄達及び津島常之進に學ぶ。是を以て大聖寺藩に本草の學あること玄覺に初り、大聖寺藩中に本草の學を究むるもの皆玄覺の門より出づといふ。玄覺又陰陽運氣の術に精しく、詩歌俳句を能くせり。資性謙恭篤實、世利に淡泊にして救濟を志とす。玄覺安永六年十月命を奉じて江戸に赴き、七年七月病んで國に歸らんとせしが、途越後長濱に至りて歿せり。享年六十四。著す所本草秘録等あり。玄覺に七男三女ありて、その第七子を樫田北岸とし、季子は即ち太田錦城なり。