石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第八節 科學

宣義の志を繼ぎて博物學を研究せしものを稻孝與及び内山覺仲となす。孝與は宣義の子にして、通稱新助といひ、俸二十口を受く。覺仲は宣義門下の上足なり。その祖三清、前田利長に筮仕せしより、世々刀圭を以て業とせしが、覺仲に至りて最も本草の學に長ぜり。綱紀古來疑義に渉るものを示して之を質しゝに、覺仲は一見してその眞僞を判別し得たりといふ。元文二年覺仲前田吉徳の命を受けて、加賀國産物志を著し、次いでまた自ら藥草繪形帳を編せり。是より先享保十九年覺仲は孝與と共に幕府に召され、庶物類纂補修の事に當りしこと前に言へるが如く、而して孝與はその業を卒へずして不幸江戸に歿したりしも、覺仲の努力によりて大成せしむるを得たりしかば、元文三年暇を賜ふに及び、幕府恩賓の言一にして足らざりしが、皆辭して受けざりき。乃ちその志を嘉し、祿百石を増して合計三百石を食ましむ。覺仲の養嗣子に内山覺順あり。實は宣義の季子にして、諱を義泰といひ、藍浦と號し、寶暦八年五月草木辨疑四卷を著す。但しその性茗讌に耽り、晩年前田重靖の殊遇を受け、連りに加俸を賜ひて齡七十に及ベりといへども、學淺膚にして稱するに足らず。