石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第八節 科學


 夫物之芸芸職職於襲燾間者。余未自賦其形。自攝其生而無化始歟。抑受形於天。禀生於天。而各得其生生之理歟。天以一理胎萬物。則物之洪纎大小。孰非一端之理而與人異者。特通塞之別也。朱子之説曰。氣以成形。理亦賦焉。人與物同一氣也。同一理也。則物之所以爲生之理。其可最靈之人而莫之知乎。人者總物者也。物者當於人者也。人之所以養口腹而庇身体者。無一不於物。而形與名尚不之。矧乎無形無窮之理哉。理在目前而不知者。其此之謂乎。蓋穀菜草木花卉鱗介翔走之屬。其形其名初未嘗不合。或隨土之肥瘠而其性移。或坐地之南北而其形爽。故人不基本而揣其末。不其始而求其終。不前而知於後。不此而見於彼。信於目而疑。局於耳而惑。於是以一種而千百其名。以一本而二三其形。噫不其人乎。人之形有長短焉。有肥痩焉。有美醜焉。有僂躃焉。有聵瞎焉。性各隨其形。喚做其名。其實非一般人乎。然聰明有限。聞見易蔽。而凡物名之雜書於傳記者。率多矛楯。非博搜廣質參互廣訂。則曷能刪其訛而就其正哉。日東有稻君彰信甫。誠博雅君子也。力學績文之餘。遂窮格物之理。上自六經四書。下至諸子百家。旁及稗説巵言醫氏襍録隱文秘訣。所載千彙萬品。形色名稱。無搜羅櫛疤鋪攤剔挾。兜攬古今。牢籠巨細。分左證右。援前較後。同而異者。斥其異而附於同。一而分者。合其分而歸一。纂成一家語。名曰庶物類纂。書凡二十三部。物種並金玉土石水火二千有餘。於是乎動植肖異。異物之形樣名號。皆各得其正。井井而不紊。昭昭而易見。疑者徴而信之。惑者渙然覺之。是書之有於人。豈居本草學諸書之下哉。聞君弄精積勞。費了二十年光陰。然後編帙始完云。其用心之勤且苦。乃若是。而紙墨之具。繕寫之手。加賀州大守君。實皆資供云。其亦樂人之美。而若己有之者乎。世之著書者何限。最多者不數十篇。而稻君是書也。至千卷之夥。此千古所覩者。豈不誠題哉。格物亦君子學問上一事。故古聖人。以格物於八條目之中。而君之篤工如此。卓識如此。能窮極物理之蘊奧處。若使君能用力於誠意正心之學。其爲世道重者。豈一部書而止哉。於戲稻君其勉之哉。
    歳壬辰(正徳二年)元月                    三 韓 東 郭 題
〔庶物類纂叙〕
前記の序文に庶物類纂が千卷の多きに及べりといふは、尚未定稿に屬するものなり。而して宣義は漢名の知られたるものを以てこの一千卷となし、その終れる後更に和名のみを以て行はるゝものを録し、續編一千卷たらしめんとの企圖を有したりしが、不幸にして正徳五年七月五日六十一歳を以て京都に歿し、その業半途にして廢するに至れり。後將軍吉宗この書の成れるを聞き、林鳳岡を介して之を綱紀に求む。綱紀未だ全く功を竣へざるを以て辭せりといへども、懇求數次に及びしかば、享保四年九月その三百六十二卷九類一千百八十餘種を謄寫して上り、次いで宣義の門人にして醫たる内山覺仲等に命じ、殘餘の遺稿を繼がしめたりしが、九年綱紀亦薨じて事業將に廢絶せんとするに至れり。吉宗乃ちその後を享けて大成せしめんことを期し、十七年宣義の門人たりし幕醫丹羽正伯をして補修の事を掌らしめ、十九年内山覺仲及び孝與を江戸に召して之を助けしめしかば、元文三年に至りて新たに六百三十八卷を加へ、正編一千卷二十六類二千二百十四種成り、綱紀と宣義との遺志略遂げらるゝを得たり。宣義の尚世に在りし寶永中、新井白石の甲府侯徳川家宣の爲に詩經を講ぜんとするに當り、遙かに書を寄せて毛詩に載する所の鳥獸草木の義解を試みんことを請ひしに、宣義は詩經小識六卷を擇びて之に贈りしことあり。されば宣義の歿するや、白石之を追悼すること甚だしく、その佐久間洞巖に與へたる書中に、『此人草木禽獸の事に能々精しく候て、一千卷の書を撰じ置れ候。文彩も達者にて、殊に〱一見解ある、おもしろき博雅の君子に候も、老拙よりは年もわかく候にさきだゝれ候て、老拙ごとき世に無用のものゝみかくて候事、はづかしき事とも申べく候やらん。何事も〱むかしなつかしく候。』といへり。明治四十二年九月十一日宣義に從四位追贈せらる。