石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第八節 科學

瀧川有乂、字は子龍、新平と稱し、崇山又は規矩亭と號す。父の名は有中、の定番御歩たり。有乂少くして宮井安泰に從ひ、算法を學びて造詣する所あり。以爲く數學の道豈こゝに盡きんやと。將に益研究してその精蘊を極めんとす。則ち百家の遺書を搜り、珍籍あるときは重貨を捐てゝ之を購ひ、その購ひ得べからざるは謄寫せり。故に算數の文献にして、凡そ世上に有る所のもの、一として藏弆せざるなきに至れり。有乂則ちその長を採り短を棄て、遂に自ら一家を爲し、稱して瀧川流又は規矩流といふ。是に至りて遠近教を乞ふもの麕至せしかば、有乂は爲に教場を開き、官暇之を導きて倦怠する所なかりしに、學者各材に從ひて成就する所ありき。文政二年有乂父に繼ぎて祿を承け、その術に精しきを以て算用者となり、後諸職に歴任して勤謹公潔の名を得しが、弘化元年九月十三日暴かに疾みて歿せり。享年五十八、野田山の塋域に葬る。有乂書を著すこと甚だ多く、その中に神璧算法別術二册・精要算法別術三册・算法探索諺解二册・算術要法五ヶ條法則一册等あり。而して未詳算法十八編は、最も浩翰なるものなるのみならず、瀧川流の眞髓を發揮せるものにして、或は自ら編し、或は門下をして輯めしめ、著作年代は文政七年に初りて、略その遠逝の前に逮べり。未詳算法とは今の平面幾何・立體幾何及び微積分の一部を含むものとし、この算法たるや後人益發明する所あるべく、今に於いて尚確定に至らざるが故に未詳と名づけしなりといふ。その編次は左の如し。

 未詳算法第一編  文政七年、門人石田保之著、瀧川有乂閲。
 同   第二編  文政七年、熊谷愼淳著、瀧川有乂閲。
 同   第三編  文政七年、瀧川有乂著。
 同   第四編  文政八年門人宇野定根著、文政九年門人竹村則直校、文政十年瀧川有乂閲。
 同   第五編  文政九年瀧川有乂著、文政十二年北村儀直・宇野定根校。
 同   第六編  文政九年瀧川有乂著。
 同   第七編  文政九年瀧川有乂著、門人北村儀直校。
 同   第八編  文政九年瀧川有乂著、文政十三年門人萩原定根・寺尾克灼・野村正忠校。
 同   第九編  文政十年瀧川有乂著。
 同   第十編  文政十年宇野政看・竹村則直・中村重行・吉倉祐之著、近藤道兌校、文政十一年宇野定根閲。
 同  第十一編  年不詳瀧川有乂著、北村儀直・宇野定根校。
 同  第十二編  天保元年中西重行・伊藤保信著、天保二年出口申之校、瀧川有乂閲。
 同  第十三編  天保二年瀧川有乂著、宇野定根・竹村則直校。
 同  第十四編  天保二年瀧川有乂著、萩原定根校。
 同  第十五編  天保六年瀧川有乂著、中西信好・川崎克灼・井上正忠校。
 同  第十六編  天保十一年太田貞孝・志賀軌正・坂井弘・安蓮安之著。
 同  第十七編  年不詳瀧川有乂著。
 同  第十八編  年不詳三好質直著。