石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第七節 書道

橘觀齋、諱は應、字は子鼎、有朋と號す、觀齋はその俗稱なり。鳳至郡柳田村の人にして、家世々農を業とせり。父を十郎兵衞といひ、觀齋はその長子なり。觀齋八歳にして夙く書を能くせしかば、叔父某試に廣澤の法帖を學ばしめしに、頗るその筆意を得たり。是より觀齋は志を立て、十六歳にして浪華に往き曾谷學川に從ひ、尋いで堺に至りて趙陶齋に學び、後更に業を細合半齋・龍草盧に受く。この間十有一年、潜心勉勵し、遂に自ら一家を爲しゝかば、鵝群閣を金澤に開きて子弟に授くるに至れり。天保十一年六月二十九日を以て歿す、年七十六。觀齋子なかりしを以て、妻の甥順也を養ひて嗣たらしむ。順也亦觀齋と稱し、町儒者となり、書道を以て業とし、寺子屋中に牛耳を執れり。明治以降小學校教育に從事し、同三十二年七十三歳を以て歿す。