石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第七節 書道

岡野黃石、本姓紀、通稱友輔、字は芝端、所居は青黎閣・典學齋・温故樓又は曉月樓。黃石はその號にして、晩年には嘿翁と改む。黃石の父を得入といひ、金澤の書賈たり。是を以て黃石幼より博く經籍を讀み、又江戸に赴きて諸名家と交り、遂に帷を下して英才を教育するを務となす。黃石人と爲り温愨直諒、學博くして行約。文化十一年國老前田直時の召す所となりて儒者に列す。黃石多く詩を作れども詩律に適ふもの甚だ稀なり。但その書に至りては筆法極めて自在、具眼者の賞揚する所となる。三宅橘園嘗て壽岡野芝瑞六十序を作りて曰く、『其學書也。不明清之婾風。舍派流而泝玄源。闚張鍾室。冐王衞幕。遒鋭勁健掲筆陣妙訣。然其篤古而不時樣。故未大顯於世。而自娯之自若也。』と。文政二年春藩侯前田齊廣の命に應じて數紙の大字を献じ、併せて自著の温故樓書説を上る。文政五年十月十七日病んで歿す、年六十七。

岡野黃石書蹟 金澤市黒本植氏藏