石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第七節 書道

淺野屋秋臺、通稱彦六、金澤の市人にして製疊業者とし、晩年市吏となる。秋臺はその號にして、別に戴笠道人・阮簑野王・阮簑鎌叟・端王簑・海石老人・青簑道人・恬處道人・息齋・半僧道人・半兼老人・半禪居士・阮鎌人・遂初道人・鐵華居士・周臺等の數號あり。秋臺初め松花堂の書法を學び、後蘇東坡の風を慕ひて堂奧に達す。その資性恬淡寡慾、頗る酒を嗜み、貧に處して晏如たり。故にその書蹟も亦瓢逸佚蕩、寸毫も俗氣を帶びず。傍ら篆刻の技に精しくして秋臺印譜を著し、茶事に堪能にして啓沃軒隨筆を遺し、詩を作り戲畫を描けり。貫名海屋の北遊するや、秋臺を見てその爲人を愛し、歸東の後之を招きて名を爲さしめんと欲したりしも、秋臺は遂に辭して往かざりき。海屋常に秋臺を呼ぶに名八を以てし、加賀の人に遇ふときは、先づ名八の安否を問ふを常とせり。名八とは、當時秋臺の用ひたる雅號八種に上りたるが故なり。秋臺平生硯を愛し、晩年中風を憂へしも尚座右より放たず、文化十二年十月六日之を枕として歿せり。この年正月秋臺通稱を改めて幸内といふ。葢し絡身幸福の日なかりしをいふ。

淺野屋秋臺筆蹟 金澤市太田敬太郎氏藏