石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第七節 書道

佐々木志頭摩は通稱を七兵衞といひ、京都の人にして賀茂神社の祠人藤木甲斐の門人なり。松竹堂と號し、書を以て加賀藩に仕へ、二十人扶持を賜ふ。その書概ね墨重く肉厚し。綱紀曾て志頭摩に命じて、丈餘の文字を座前に作らしむ。志頭摩謹みて旨を領し、巨筆を握ること杵の如く、跪伏膝行して書せしに、侯は之を賞して絶技といへり。又妙法院入道親王命じて方廣寺の下馬牌を書せしめしに、累月にして果さゞりしかば督促甚だ嚴を加へたりき。志頭摩乃ちその稿の二長櫃に滿ちたるを使者に示して曰く、僕敢へて令旨に反くにあらずといへども、未だ意に適するものを得ざるを如何せんと。使者歸りて之を告げしに、乃ち志頭摩の佳良なりとする字を擇びて接續摹勒せしめたりき。志頭摩燕居するときは、則ち左手に右手を承け、保持すること極めて厚し。人その故を問ひしに、應へて曰く、運筆の際顫掉せんことを恐るゝが爲なりと。又常に黒漆の塗板方三尺なるを設け、その面に水書して體勢を整へ、名づけて玉板と稱す。晩年致仕してに歸り、剃髮して專念翁と號す。元祿八年歿する時年七十三。千字文・敬齋箴・佳墨集・橋記等の法帖世に行はる。志頭摩の女を照元といひ、亦長恨歌・賢臣頌・赤壁賦・千字文・唐絶句・入墨玄妙等の書蹟あり。志頭摩の高足に荒木是水ありて又金澤に來寓せり。