石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第六節 俳諧

梅室の名聲漸く籍甚となるや、世或は白眼を以て之を迎ふるものあり。天保十一年八月梅室大坂に遊ぶ。その地の反古庵天來乃ち梅室俳諧を難じ、翌年春俳諧七草を發行せり。七草とは人のひうつとの意なり。天來の言に、『この書はもと室を憎みて著したるものにあらず。年來わが教授の趣と、かれが行ふ所と異なるを訝り、門人の問ふに應じて答へ諭したるを、かく梓に彫らせることに成たり。』といへども、固より天來が貞門の流末を汲むの徒にして、梅室を壓倒せん爲に企てたりしものに外ならず。列擧する所の難問二百餘條、天來先づその草稿を梅室に示し、十餘條の回答を得、更に辯駁を加へて共に之を卷末に添へたりき。是に於いて梅室は門人九起の名により梅林茶談を出し、加陽の流行舍といふものは霽々志を刊行して、共に七草を攻撃し、次いで岡目蜂杢と號する匿名の人は、俳諧春之田⊥名治聾酒を出し、七草の所説の妄誕なるを論ずると同時に、梅林茶談・霽々志の反駁が頗る幼雅なるを嗤笑して、『此頃ある人七草問答を嘲りて、人の非をうつの山邊につむ雪はどちらを見てもつたなかりけり、と詠めるもをかし。』といへり。題號を春の田とせるは、打ちかへすの意なりといふ。是等の書の發刊せられたるは、皆天保十二年に在りて、世に之を七草事件と稱す。