石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第六節 俳諧

山中温泉の浴樓に泉屋又兵衞といひしものあり。諱は武矩、長谷部氏又は長氏を冐す。洛の貞室曾て一面の琵琶を得たり。筐に南北と篆書し、四面に梅鶯鶴月の圖を描く。貞室之を愛すること深く、彼が山中に來りしとき日夕翫賞せり。又兵衞その名器なるに感じ、伊勢の望一が所藏したる南北にあらざるやと問ふ。貞室何を以て之を知るやを質しゝに、又兵衞は、望一が天滿宮奉納せる獨吟百韻に、『梅ならば南の枝や北野殿。飛ぶ鶯の跡を老松。長閑なる光に鶴の羽をのして。月にほこりを拂ふ高窓。』とあるにより、所愛の琵琶を南北と名づけ、四絃を梅鶯鶴月と銘したることを以て答へたりき。是に於いて貞室は、自ら俳諧を知らざりしが爲に、田舍翁の愧かしむる所となりたるを思ひ、洛に歸りたる後、貞徳に學びて遂に巨匠となれり。さればこの一村判詞を求むるものあるも、貞室は決して朱料を受くることなかりしといふ。この譚、奧の細道歴代滑稽傳に載せらるゝも、遲月庵空阿の俳諧水滸傳の記事を最も委しきものとす。芭蕉のこの地に至りて泉屋に泊するや、又兵衞既に死し、子久米之助家を繼ぎしが、彼は尚小童たりしも、能く俳諧を解したりき。芭蕉乃ちこれに桃夭の號を贈り、『桃の木のその葉ちらすな秋の風』と祝福せり。葢し詩經周南の桃之夭々其葉蓁々より採りしなり。而もこの後久米之助が常に桃妖の字を用ひたるものは、夭字に短折の義あるを忌みたればなるべく、楚常の卯辰集に桃葉に作り、句空の草庵集及び北枝の喪の名殘に桃蛘に作るも亦彼にして、所居を桃枝齋又は宿鷺亭といへり。その遠逝は寶暦元年十二月二十九日にして、周孝桃妖居士と諡せらる、享年七十六。『山人の晝寢をしばれ葛かづら』『水鳥の藪に聲あり夜の雪』等の吟あり。