石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第六節 俳諧

貞享に入りて芭蕉獨創の天地漸く開かれ、我が地方の俳士亦その幽玄閑寂を愛するものを生ぜしが、彼等が相率ゐて芭蕉の大傘下に屬するに至りしは、實に元祿二年奧の細道を經廻して、歸途こゝに足跡を印したる結果ならずんばあらず。是を以て彼が加賀通過せし當時の事情如何は、最も詳密に之を究めざるべからず。芭蕉越中より倶利伽羅を超えて、金澤に入りしは、この年七月十五日なりしが、偶大坂の商人何處も亦こゝに在りしを以て、之と旅宿を共にせり。何處は素より俳諧を好むものなり。而して彼の來杖の遠近に報ぜらるゝや、同好の徒爭ひて來り集りしが、芭蕉は彼等の談によりて、去年十一月六日一笑三十六歳にして遠逝せることを知り、悲痛禁ずる能はざりき。一笑加賀の俳人中最も早く蕉門に歸依したる人。是より先一笑芭蕉の久しからずして北陸を過ぎんとするを聞き、彼にして若し來らば、必ず己の家に宿泊を乞はんと期せり。既にして一笑病に臥したりしが、偶父の十三回忌に會したるを以て、十三卷の歌仙を供養せんと志し、痛苦を忍びて滿尾したる後、『心から雪うつくしや西の雲』の句を殘して世を辭したるなり。芭蕉乃ち一笑の兄ノ松(ベツシヨウ)の催しける追悼會に臨み、『塚も動け我が泣く聲は秋の風』の句を手向け、芭蕉に隨ひたる曾良は、その墓じるしに竹を植ゑたるを見て、『玉よそふ墓のかざしや竹の露』といひ、何處も亦『常住の蓮もありや秋の風』の句を捧ぐ。一笑臨終の状は其角の雜談集に詳しく、その追悼句集はノ松の編輯によりて元祿四年に成り、題して西の雲といへり。