石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第六節 俳諧

然れども誹枕集・俳諧雜巾にもその名を列するを以て見れば、地方の貞門は必ずしも純粹の貞門たらず、檀林亦決して潔白の檀林にはあらざりしなり。牧童が宗因の風流を慕ひしといふも然り、北枝も然り、句空も然り、萬子も亦然り。皆常に新興の俳風に注目を怠らず、終に相携へて芭蕉の葉蔭に悠遊するの人となれり。而して此等の徒に三十六友琴の二人ありしことを忘るべからず。三十六は卅六とも書し、又六々庵ともいふ、名は今村紹由。元祿六年三十六牧童句空友琴と共に興行して、金澤の郊外猿丸宮に奉納せる連俳を集め、題して猿丸宮集といへり。三十六の句態は、『朝霜や都の菜賣雲母坂』といへるが如し。友琴は神戸氏、又幽琴・幽吟の字を用ひ、山茶花逸人とも識趣齋とも號す。京師の産、嘗て學を北村季吟に受けしが、弱齡金澤に徒り、糕菓を賣るを業とし、傍ら俳道を以て人に教へたりき。延寶八年友琴白根草を著し、山森六兵衞をして板行せしむ。天和三年三月友琴、正勝・柳・一風・一煙と共に、五吟百韻四卷及び追加表一卷を賡ぎ、金澤堤町の書林升屋傳六をして出板せしめ、題して俳諧金澤五吟といへり。友琴俳風は初め貞門に親み、檀林に移り、蕉門の徒大に起るや、亦之と交れり。その著に劔酒・卯花山・色杉原等あり。寶永三年十月十三日を以て歿す、齡七十四。時に百花堂文志一夜友琴の亡靈顯はれて、『艷賀の松われに扇をたゝみ禮』と吟ずるを夢む。因りて五年その追悼句集を編し、題して艷賀松といへり。文志が書肆三ヶ屋五郎兵衞なることは前に言へり。