石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第五節 國學(下)

石黒千尋、初の名は克己、通稱萬五郎・左門・嘉左衞門又は九十九。世々加賀藩に仕ふ。天保年中鈴木重胤の金澤に至るや、千尋深く之と交り國典の説を聽き、橘守部の來るや亦就きて和歌を學び、田中躬之にも師事して、家を竹之舍といへり。嘉永五年千尋明倫堂國學講釋御用を命ぜられ、躬之等と共に教授の任に當る。同六年米露の軍艦來りて互市を求め、世論紛々たり。千尋乃ち來舶神旨・近世諸蕃來舶集等の書を著し、又海外互市適神旨歌並びに短歌を詠じ、外國通商が國体の大本にして列聖の遺猷なる所以を論じ、世人の迷夢を覺醒せんことを期せり。維新の後千尋皇學講師又は文學教師となり、明治五年八月五日歿す、年六十九。
春の初によめる
 うら〱と霞をよもに敷島ややまとしまねの春ぞのどけき

歳   暮
 いたづらにことしもくれぬ必とわが誓ひてしこともありしに