石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第五節 國學(下)

田中躬之、通稱兵庫、菊園と號す。石川郡本吉村の儒醫の家に生まる。少壯京師に至り、皇學を加茂季鷹に受け、醫術を新宮涼庭に學ぶ。天保五年家に歸り、六年居を金澤に移して町儒醫となり、國典和歌を教授す。當時の歌人多く新調を喜び、爭ひて輕佻浮薄の體に陷り、たゞ荒井貫名五十嵐篤好等數人の古調を崇ぶものありといへども、詞格何れも澁晦にして時流を左右するに足らざりき。然るに躬之の歌風を見るに及び、人々相爭ひて之に赴き、青木秀枝淺野屋佐平高木有制大野木克敏石黒千尋山下清臣狩谷鷹友高林景寛高畠米積及び高橋富兄等、その門に入るもの甚だ多し。加賀藩歌道の盛なること實に躬之に始る。嘉永五年前田齊泰之を召して、明倫堂皇學講師となす。大夫奧村榮實亦深く躬之を信じ、屢延見して道を聽けり。安政四年齊泰類聚國史の缺逸を憂へ、儒臣に命じて之を補修せしめ、躬之をして編纂の事を督せしむ。業未だ緒に就くに至らず、同年七月十九日を以て歿せり、年六十二。著す所菊園遺芳・園の菊あり。園の菊は、其の子猛之の作をも合輯せり。
花 似 雲
 花とのみまがひ馴にしおこたりに花をも雲と見てしくやしさ

夜 卯 花
 ありあけの月まちてこそ卯の花をうの花ぞとは誰もしりけれ