石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第五節 國學(下)

服部元好、後に關氏に改む。金澤卯辰八幡町に住せる醫師にして、狂歌を善くし、又尺八の吹奏に巧なり。元好は俳人北枝等と風交を結びしこと、その著軒端集に見ゆるが故に、彼は元祿寶永の頃をその盛時とせしなるべし。或は曰く、藩士大音帶刀毎年元好に米一石を贈りしが、偶家中勤儉の令あるに際し、その半を減じて與へたりき。元好乃ち之を謝し、『帶刀が力の程を見せんとて石を二つに割りてたまはる』と詠ぜしに、帶刀は苦笑して更に米五斗を贈れりと。この譯普く坊間に傳ふる所なり。然れどもこは狂歌師曉月坊が極黄門より米一石を借らんとて、『曉月が師走の果の空印地とし打こさん石一つたべ』と申し遣りしに、黄門米五斗を使に與へて、『定家が力の程を見せんとて石を二つに割りてこそやれ』と返歌せりとの物語を誤りたるものなるべし。元好の傳者の爲に特に記する所以なり。
俳譜師北枝の許によみて遣しける
 發句師を北枝というて津のなきは名句を吐いて喉のかれたか

或人貴老は歌を詠み給へば吉田兼好の再來ならんか、名もよく似たりといふに
 こゝうだにすめば吉田の兼好よにごるが故に我は元好

僻   世
 呼びに來ていやといはれず冬の夜に末は知らねど療治しに行