石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第五節 國學(下)

田中式如、字は玉之、恒齋と號し、通稱を左源太といふ。備前岡山の人にして、本姓は松浦氏、初め池田光政に仕ふ。已にして辭して江戸に出で、吉川惟足の門に學ぶ。田中一閑之を見てその才を愛し、請ひて子養す。式如後神樂岡に上り、卜部兼敬に就きて唯一神道を受け、弘才を以て世に鳴り、貞享二年前田綱紀祿仕す。その著に恒齋隨筆・立言源委ありて世を稗益する所多し。享保十九年七月金澤に於いて歿す、年七十五。貞簡先生と諡す。式如嘗て伊勢物語に就き、諸家の舊註を稽へて自説を立て、その解釋考證を試みて秘本とす。亦音韻の學に精しく、倭語小解五卷の著あり。その説く所妥當順正にして、奇恠に走らず、獨斷に陷らず、眞に學界に於ける好著なり。式如歿するに臨み秡除の詞を誦し、畢りてその子朋如をして永訣の和歌を書せしめき。その歌に曰く、

 世の中の稀のたまのをかぞへ來て今いつときの入相のかね