石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第四節 國學(上)

先に論じたるが如く、加賀藩治の最初期に在りては、加能の地尚未だ奎星の光芒を發するに至らざりしといへども、獨和歌に於いてはその片影を認め得ざるにあらざりき。即ち前田利家が、後陽成天皇の行幸に豐臣秀吉の聚落第に陪從して和歌を奉献したるを初とし、同時に利長も亦その詠什を叡聞に達せしあり。利常に至りては之を好まざりしが如しといへども、その子光高は中院通村及び烏丸光廣に就きて學習し、その夫人清泰院は最も堪能の譽ありしといはる。中世以後に在りても、藩侯重煕が梅松百首の詠歌を小松なる菅公の神廟に奉献せる、重靖が一品有栖川親王に師事してその奧妙に達せるなど、皆和歌奬勵に與りて力ありしを疑はざるなり。