石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

田邊輅、通稱龍右衞門・龍衞、字は子晃、明庵と號す。初は竹内世絅に學び、安政中學の會頭となり、文久中江戸に役するや安井息軒の門に入る。この時輅固より既に一家の見識を備へしを以て、息軒は之を遇するに友人の誼を以てすといふ。後文京師に遊びて、皇學を平田篤胤に問ふ。是を以て置縣の際に至るまで、學の事一として參與せざるなく、餘財を抛ちて書を購ふこと二萬卷、經傳子史悉く渉獵し、之に加ふるに強記を以てし、その講莚に臨むや快辯縱横、聽者をして倦むを知らざらしめき。輅、明庵詩稿の著あれども刊せず。明治三十年八月九日歿す、年七十六。
東方芝山六秩賀
 巉巖氣節杳難攀。眼界誰居伯仲間。遺恨三呉諸子弟。却因書畫衝山

本節叙述する所は、國典の研究より古言古書の解釋、文法音韻の學、和歌連歌狂歌及び雜學の一切に亙る。