石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

竹内世絅は親知の子なり。通稱權左衞門、琴湖・檜園又は福水と號し、所居を甘節齋・洗心堂・福川舘又は福川堂といふ。世絅幼にして岐嶷、父に從ひて學び、成童にして嶄然頭角を露せり。二十四歳の時東都に出で、龜田鵬齋・古賀侗庵等を師とす。已にして贅を大田元貞に執り、三十一歳にして藩侯の世子利極の侍讀となりしも、その江戸邸に留る時は尚元貞の門に遊ぶ。是を以て世綱元貞に親炙すること頗る深く、遂にその傳統を紹繼せり。天保十一年前田利平の儒臣に命じて經書を講ぜしむるや、世絅江守長順と共に會頭たり。その學最も經書に精通し、識見卓拔、一の子弟翕然として之に嚮ひ、六代に歴事し四代に侍讀となる。安政二年學校創立の時、世絅時習館會頭を命ぜられ、祿十石を加へて九十石を食む。萬延元年六月老齡の故を以て侍讀專務となり、文久元年致仕し、慰勞の爲に白五枚を賜ふ。その侍讀は故の如し。同二年五月二十八日七十三歳にして歿す。世絅性勤儉にして器皿服飾を好まず、專ら子弟の薫陶を以て終生の樂事となす。著す所讀易記・詩經解・論語解讀・左傳箚記等あり。