石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

河野通英、通稱喜平次、號を春察・忘巷子又は晩翠軒といひ、剃髮の後益庵といへり。慶長十七年長州萩に生まる。寛永三年京師に上り、竹田定宜法印の門に入りて醫を學ぶこと三年、傍ら儒書を習ふ。既にして同八年江戸に至り、十年九月太田備中守資宗に仕へ、十一年正月林道春の門に入る。二月道春釋典の禮を行ひ、高弟十二人を選びて花有太平の詩を賦せしめしに、通英亦之に與れり。二十年七月朝鮮の使來りし時、通英朴進士なるものと唱和して文名大に擧る。萬治二年通英太田侯の仕を辭す。寛文四年前田利明聘して祿二百五十石を給し、次いで三百石に増す。延寳三年四月八日歿する時年六十四。