石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

井口濟、字は孟篤、嘉一郎と稱す。犀川又は孜孜堂の號あり。家世々前田侯に仕へて持筒足輕たり。犀川年二十七にして江戸遊學せしが、貧にして資を出す能はず。乃ち諸名家に踵り、乞ひて躬ら春汲の役に當り以て業を受く。飢寒困窮能く人の堪へざる所、而も濟は恬然として學是れ務め、是の如きもの六年にして識大に進む。是に於いて濱松の水野侯に招かれて學の教授となりしが、侯の封を山形に移さるゝに及び、辭して江戸に歸り、復安井息軒に就きて學ぶ。後父母の老するを以て郷に歸り、帷を下して徒に授け、遂に執政横山氏に仕へてその儒員となる。時に慶應元年三月なり。王政維新の際、濟擢でられて士籍に列し、或は藩侯に從ひて京師に抵り、或は議事員となり、貢士となり、次いで權辧事に任ぜらる。明治二年又藩知事に隨ひて東上し、議衆兼侍讀となりしが、已にして歸りの文學となり、置縣の後石川縣專門學校及び師範學校に教鞭を執れり。濟の學は濂洛を宗とすといへども、博鷺廣渉して一説を規とせず。その經を解するや、訓詁精微を究む。操行勤儉、性又孝友なり、文化九年十二月を以て生まれ、明治十七年五月に歿す、年七十三。
狂賣桃傳
 狂賣跳者。不何許人。小原宗意嘗釣于合歡之渚。見一異人。蓬頭敝襦。状貌甚陋。一小籃盛桃李行賣。俄而至宗意。踞而觀焉。時魚數偸餌。失蝋數四。不一鱗。賣桃笑曰、人欺魚魚亦欺人。要同一飽耳。僵蠶滿薄。性命無副。可愼乎。宗意異其言。釋竿下。就而買果。因而問其姓名居所。賣桃答曰。狂吾姓。賣桃吾名。以天爲蓋、以地爲輿。四海吾廬也。言畢將去。仰而歌曰。日居月諸。駕言出遊。以寫吾憂。宗意益異之。執手止之曰。竊觀先生必有道者也。埋跡賤業。終日果。良亦勞矣。方今國家乂安。海内無虞。四方林丘之士彈冠而起。先生不一詣巍然之闕。而煥乎之休。隱鱗竄爪。何其若是之深也。賣桃笑曰。子知紅蝋爲鮒鯽之餌。而不重利榮勢爲士大夫之餌也。吾不一飽之故。而呑鋭鐖之鉤。且夫一魴之餌。何足以蹈盈車之鱞哉。取籃而去。宗意者我某公時人。官至定番尹。嘗爲予言之。

新 年 
 人
我重聽。不問亦不言。新年鷄狗日。無復昔時喧