石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

山田文祥、本姓は高瀬氏、出でゝ山田氏を嗣ぐ。初め與三助と稱し、中頃章藏といひ、後文祥と改む。文祥幼にして讀書を好み、業を金子惺に受け、又井口濟に從ふ。已にして江戸に往き、芳野金陵に學び、昌平黌に入りて日夜淬勵せり。歸國の後齊勇舘教師となり、中學東校幹事となり、次いで金澤及び輪島師範學校教員に任ぜられ、明治十四年二月を以て歿す、年三十七。文祥人と爲り寛洪、人に接するに城府を設けず。性酒を嗜み、時に酣醉して復人聞得喪のことを知らず。間々詩歌を作れども甚だ鍛錬せず。たゞその人を教ふるに當りては叮嚀親切、故に皆之に信服せり。