石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

永山平太、初名は平八、また平に作ることあり。諱は政時、亥軒又は椿園と號す。本姓岸氏、出でゝ永山氏を嗣ぐ。幼にして學を好み、の儒西坂錫大島桃年に就きて業を習ふ。天保十二年平太江戸に抵り、安積艮齋に師事し、洛閩の學を受け、兼ねて力を辭章に肆にし、大槻磐溪・佐久間象山・粟本匏庵等と友たり。居ること數年にして國に歸り徒に授く。安政三年前田齊泰命じて欽定四經を校刊せしむ。平太其の事に與り、又諸儒と共に史記考異を選す。齊泰之を嘉奬し、擢でゝ明倫堂の教職とす。文久三年平太齊泰京師に從ひ、朝紳に謁して窃かに稱説する所あり。爲に人の搆ふる所となり、四月に歸り、罪を得て家にせらる。明治元年時局一變するに及びて、平太の譴亦解く。三月朝廷に命じて士を貢せしむ。平太その選に與り、集議院に待詔し、大事を參決して献替する所あり。五月職を免ぜられて還り、の文學となる。次いで十一月金澤藩少屬に任じ、漢學教師となり、置縣以後文學教師に任じ、中學・師範兩校に教ふ。晩年中風を患ひて行歩に艱み、卒に起たず。文化十二年八月生まれ、明治十二年八月歿す、年六十五。
千秋慥爾一 五首之一
 文藻翩翩人共推。才名卓卓世曾知。一時失計雖惜。千載定評還可期。雨夜把抔陳雅謔。閑牕論史感興衰。此情此景無見。空對燈檠悼詩

寳圓寺新緑
 緑葉初勻雨後天。春光無迹正清妍。龍華會罷僧將睡。啼過一襲新杜鵑。