第三章 學事宗教
第三節 漢學(下)
野村圓平、通稱は次右衞門、空翠・空翠樓・栖霞・協幽齋・殘月書屋と號す。幼より學を好み、和漢の書籍を渉獵し、詩賦に耽り、傍ら禪に參す。書は懷素・祝枝山寺に私淑し、畫も亦之を能くす。謠曲・彈琴・和歌・茶湯・圍碁等、百般の技藝概ね通ぜざるなし。圓平子なきを以て、年四十にして家を弟に讓り、日夜推敲に沈吟し、狂熱愈長じて、一笠一杖飄然として詩賦修業に志し、西は九州の窮極より、東は仙薹・青森の天地を踏破し、到る處名家の門を叩きて唱酬を求む。その間大窪詩佛を師とし、日野資愛・菊池五山・谷文晁・市河米庵・頼山陽・篠崎小竹・小石樫園・田野村竹田・浦上春琴・雲華大含・廣瀬淡窓・廣瀬旭莊等と相識る。是を以て文人墨客の北游するもの、多く圓平の家に淹留せり。慶應元年正月二日歿す、年八十二。著す所、空翠雜話二卷・空翠詩鈔二卷・梅花百詠一卷・遊越詩草一卷・空翠樓筆記等あり。
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