石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

市川三亥、諱は孔陽、米庵・小山林堂・金洞山人・半千筆齋・樂齋・顛道人等の號あり。江戸の儒家寛齋の子。幼にして林述齋・柴野栗山に學び、又書は米襄陽より入りて晋唐に泝り、明朝の法を極め、名聲天下に高し。文政四年前田齊廣之を祿し、其の子齊泰の師たらしむ。三亥書道の傍ら詩を好み、大窪詩佛・菊池五山等と宋詩を唱道す。然れども詩名は書名の爲に壓せられて、世に彰れず。弘化元年金城靈澤碑兼六園に建つ。其の篆額は齊泰の書する所にして、津田鳳御文を作り、渡邊栗銘を繋げ、而して書は即ち三亥の筆に係る。鐫成るや米庵一詩を賦して、之を侯の左右に上る。
金城靈澤碑鐫成。蒙榻本。謹献蕪詩左右
 曾聞金城出靈水。原泉混混清且泚。隱士採鏷來淘流。其言無徴阻年紀。今讀碑文事極精。該博詳審跡始明。況是題額貿美翰。鳳翥虎踞殆難名。微軀何幸承特命。幾日凝思殫心性。楷書七百字有餘。恐愧老筆不端正。鐫成蒙賜辱恩旨。敬加裝潢文几。巨觀海内如是希。僅見壺碑肩可比。宋有喜泉金靈泉。建碑紀事世所傳。自是靈澤流不盡。旌表嘉瑞萬斯年。

三亥安政五年を以て歿す、年八十。その養子を三治郎といひ、諱は三乿、遂庵と號す。又詩を作る。
元治紀元甲子。三月望前一日。兼六園櫻花
 朗晴恰好艷陽天。燗漫櫻花映水鮮。珍重林園塵不及。逍遙盡日弄芳妍