石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

大島桃年は維直の子、通稱清太、字は景實、初め藍涯と號し、後に柴垣と改む。催詩樓はその讀書推敲の處なり。桃年の昌平黌に學ぶや、大槻磐溪と最も親善なり。文政五年郷に歸り、明倫堂助教となる。前田齊泰の四書匯參・欽定四維等を校刻せしむるや、桃年與りて力あり。又その歿後に成れる史記考異十四册は、諸儒と共に齊泰の命を受け、幕府・列侯の藏するもの二十餘種に就きて異同を校勘せるものなり。文政十年大槻磐溪西遊して頼山陽を京師に訪ひし時、桃年が作れる催詩樓記を示す。山陽大にその奇才を驚嘆せりといふ。嘉永六年八月十六日歿す、年六十。
丙午秋日飮永山生宅賦贈
 伯氏晨入山。芳菌滿藍還。叔氏釣江瀬鱗尺許大。芳菌作和羹鱗切爲膾。羹香膾亦美。共開文酒會。籬畔千竿竹。含露碧籏簇。草間數種花。風前香馥郁。青樽傾盡余已醉。高聲祀子子須記。子家休福無窮極。佳兒三歳能識字。

失   題 録四首
 早起期昧爽。盥嗽整衣裳。灑掃一室内。端座對書床
 盌中粒粒飯。嚢裏幾文錢。慈親兩眼涙。凝落几案前。
 騏驥雖能馳。造父猶策之。不鞭撻力。終難進雲逵
 逢遇五方客。好尚各殊趣。戒爾擇交遊。莫己好惡