石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

西坂錫、字は子衷、成庵と號し、初め大島維直に就きて學ぶ。天保二年命を以て昌平黌に入り、業を受くるの傍ら祖盛烈記を著す。その交遊最も廣く、安積艮齋・古賀茗溪・大槻磐溪・江尻簣山・大橋訥庵等と相往來す。留學六年にして歸り、前田齊泰の命を奉じて四書匯參を校正し、三年を經て之を刊行す。又欽定四經の校刊を命ぜらる。齊泰また史記の文義に於いて通ぜざる所を考究して、考異を編輯するを命ず。錫、大島桃年の後を承けてその事を監し、文久二年功を竣ふ。是より先弘化三年明倫堂助教に進みしが、史記考異成るの翌年を以て易簀せり。
天保十一年五月朔日明倫堂試業策問
 居上克寛。聖人之所以教治也。爲政得人心本。苟不寛弘簡重。乃無以爲善治也。然細微之事不管照。則其流弊將政教廢弛諸曹頽壞之患。是以爲政不嚴。政嚴則紀綱有立。而使奸民猾吏不其私。若有狡險軟熟欺罔生事者。不其姦矣。然則寛弘之道。較之嚴制。似盛治也。敢以爲問。