石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

前田齊泰の世は文政の中期より末に及ぶ。齊泰は梅皋・後凋・三華翁・棄世道人・球外道人等の號あり。夙に學を好み、圖書を校刊し、又書を米庵に學びてその神髓を得、筆鋒遒勁諸體並びに善くす。畫は岡田靜山を師とし、描寫の精細人目を驚かすものあり。間々文を作り詩を賦す。
巽新殿之記
 令茲文久三年癸亥。爲萱堂新殿于本城東南辰巳方位。與城相連。此稱巽殿。盖有由也。往昔金龍大府君。占菟裘于此地。而營宮殿樓閣焉。稱竹澤殿。殿前外門長屋稱之辰巳長屋。今其殿閣既廢。而外門與長屋猶存焉。今皆取用於北殿。萱堂嘗在於鷹司家日。其宮稱辰巳殿。與今所營暗合。是一奇事也。憚畏其同文字同稱。以巽代辰巳。而同其訓。城中入一水。其源經辰巳村而灌此園中。謂辰巳用水也。夫水之爲徳乎。古人有謂。其源嚴而流末無窮。即子子孫孫永續之兆也。其爲用乎。活流運動。混混不晝夜宜哉智者樂之也。其混混無窮。合子孫萬世無窮之意也。又且案巽卦。在時令則陽春發生。又風月花園草木茂秀之兆。於人倫則長女秀士眷愛。或鳳出逢鸞。貴人相近之兆。命取是禎祥之兆。不亦佳乎。且凡百什器爲印記巽字。比辰巳字。簡而雅馴也。鳴呼北樓閣之壯觀。近則弄兼六園中風月花木之秀清。遠則占山海烟雲去來之悠渺。一眸千里不盡之眺望。是萱堂養志之菟裘。而國家萬世無窮之勝地也云爾。

齊泰初め奧村榮實を擧げ、繼いで奧村惇叙を用ひて學校奉行と爲し、努めて學制を釐革せり。此の時に當り大窪詩佛の金城に來るありて、大にその平淡流暢の詩風を傳播し、劉石秋の來寓するありて又詩作の法を説き、同時に士人に寺島兢・上田耕ありて經濟の學を好み才識に富めり。兢・耕二人相前後して革政を主張し、爲に榮實の排する所となる。