石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

由美希賢、一の名は濬、字は子善。原泉・混々齋又は水哉堂と號す。鎭西の人なり。前田宗辰徴して文學となす。希賢幼より貝原益軒に學び、後徂徠に從ひ、儒道の暇浮屠老莊より陰陽稗説の類に至るまで渉獵せざるなし。伊藤東涯・服部南郭等皆之を推賞す。然れども人の下風に立つを欲せず、儒の講説の非を聽けば之を面折し、箝口せしめざれば止まず。是を以て世人希賢を怨謗すること甚だし。獨横山政禮その群書を綜覽し古今を淹貫するを以て之を仰ぐこと泰斗の如し。希賢又詩を工みにし、徂徠の重んずる所となる。加賀藩に在ること二十五年。明和六年十一月前田重教不破浚明に命じて冬至の詩を賦せしむ。浚明七律一篇を賦して之を上る。曰く『淑景知北陸。朝施春令氣葱々。魯雲夕結崇薹上。舜琯晨搖緹室中。一線女紅含日晷。五花紋履賀公宮。雪飄休詞臣鬂。賜簡相如詩未工。』と。重教乃ち之を希賢に示し、作者の名を言はずして詩の善惡を問へり。希賢曰くこれ古詩中に見る所と。重教怪しみて何れの書にあるかを問ふ。希賢應へて曰く、唐詩類苑の中に在り、臣埼陽に在りし日是を見ると。葢し希賢初は強記を誇らんが爲に輕卒に之を言ひしも、その書名を問はるゝに及びて應答に窮し、唐詩類苑の世にその書尠きを以て重教を欺きしなり。重教希賢の言を信じ、浚明を召して之を詰る。浚明能く唐詩を講ずるを以て、古人の作決して類例なきを知るといへども、證を擧げて之を辯明すること能はず。則ち普く東都の書林を求めて類苑一部を得、直に之を渉獵するに固よりこれあることなし。是に於いて此の書を重教に上りて、その古詩に非ざることを解く。重教因りて又希賢を召して之を反問す。希賢窘窮爲す所を知らず、遂に惡計を構へ、一書肆を引きて黨となし、浚明の詩を己の所藏する類苑中に攙入して板行せしめ、以てその非を遂げんとせり。重教之を見て益疑惑を加へ、乃ち殿中の文庫に藏する所の類苑兩部を出し、侍臣に命じて詳かに之を渉獵せしめしも得ず。是に至りて初めて希賢の奸策に出でたるを知り、翌七年二月七日その祿二百石を褫ひて之を逐へり。
初夏武江邸奉送致齋遠田君瓜期祗役歸
 舊盟幾載忝追陪。豪象攀高百尺薹。公退聽經時下榻。客筵把袂動銜杯。青山畫錦北轅過。紫氣曉開横劍回。此別恍然心尚醉。子規啼送白雲隈。

乙丑仲冬二日奉藩侯恩命
 禮樂久聞周。文明瑞氣照朱門。北溟鯤浪潜鱗躍。東閣官梅初日温。存志遂酬懸弧事。寡才深愧築臺恩。從今喜仰風雲色。野父偏思献負暄

希賢の詩は、實に北古來の學士に一頭地を抽くもの。その學殖富贍なるにあらずんば、豈能く此の如きを得んや。惜しい哉他の才を妬むの餘、遂に自ら羞辱を後世に貽しゝこと。