石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

葛卷昌興、字は有禎、通稱仲四郎、後權佐と改む。その亭を松風亦は觀月といふ。人と爲り高節にして倜儻、その才最も和歌に長ず。時に亦竹田忠張・奧村忠順山本基庸室鳩巣等と詩賦を以て相徴逐す。昌興一日積雪の竹を壓するを見て、竹雪辭一章を作り、之を忠張に示す。
竹 雲 辭
 漫々雪華。拂之不盡。寒威迫人。海天云暮將草堂。獨引歩於流水脩竹之間。而寫其所感也。適觀脩竹之壓雪者。時起時伏。時摧時全。或有肥而大者也。或有痩而細者也。或非必肥而大者之強也。或非必痩而細者之弱也。肥而大者。有時自摧。痩而細者。有時獨立。或摧於彼。或全于此。皆是造物必然之槩而有必然。吾亦惑之。或曰。矯而仆者。半起半伏者。仆而摧折者。摧而藏形者。是此君之不幸也。弱而不仆。細而不摧。當風不傷。涵水而存形。是此君之幸也。然而君子無幸不幸。今於此君。何論幸之與不幸也乎。彼一時也。此一時也。倶存君子之節操。則下上千古可追可慕。因擴詞人之致。以爲之説

葢し其の抑鬱の情を寫して、世を憤るの意を諷示せるなり。元祿六年密諫の書を上りて自ら蟄居す。因りて寺西宗寛の家にせられ、次いで能登の津向自邑に謫せらる。昌興是より危坐して席を移さず、歩門を出でず。偶人の金澤より來るものあれば、只藩侯の安否を問ふのみ。貞潔の操愈彰れ、之を古人に比して毫も遜色あらず。寳永二年二月四日謫所に殘す、年五十。邑民知ると知らざると皆流涕して襟を濕さゞるなく、墓を海濱に作り、祠を建てゝ歳時に享祀せり。
獨   坐
 鳥飛知雨候。花落惜殘春。不敢求過客。青山是故人。