石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

室直清、通稱新助。幼名は順祥、字師禮、一字は汝玉、東武の人なり。滄浪又は鳩巣と號し、その齋を靜儉といへり。鳩巣の曾祖父を孫三郎といふ。尼子晴久の微臣たりしが、永祿十年五月美作高田にて戰死し、祖父孫三郎亦尼子氏に仕へ、後宇喜多秀家祿を食み、關ヶ原役後浪人となり、寛永七年十月備中に歿せり。父玄卜その後を承け、寛永十六年大坂に移り、明暦二年江戸に出で醫を業とす。鳩巣夙に頴悟を以て知られ、寛文十二年二月十五歳にして前田綱紀に仕へ、二十人扶持を得て小坊主となり、次いで侯の命により京師に往きて木下順庵に學び、業成るに及びて儒者に列せらる。時に貞享元年二十七歳なり。鳩巣元祿十年より金澤に來り住し、學を奬め道を説きて倦むことなく、州人をしてその徳に化せしめしが、正徳元年三月年五十四にして、召されて幕府の儒官となれり。當時伊藤仁齋・物徂徠等妄に程朱を誹毀し、敢へて異説を立てゝ毫も忌憚する所なし。鳩巣大に之を憂へて曰く、大厦の傾くや一木の能く支ふる所にあらず。然り而して邪正を辧明し、眞僞を明章にし、學者をして歸嚮する所に迷ふなからしむるは是れ吾が志なりと。乃ち太極圖述・駿臺雜話等を著し、生徒を教誨して諄々として老の至るを知らず。常に濂洛の遺編に思を潜め、發して大學の新疏となり、論語の廣義となる。葢し四書ありてより未だ集註の如きものあらず。集註ありてより未だ新疏の如きものあらず。鳩巣や實に朱子後の一人なりといふべし。その學藝に淹通し、理義を精究し、言行該明、才徳共に高きこと前後に比を見ず。その斯文を談ずるや、幽渺を張皇し、炳乎として光を孔孟に増す。是を以て海内の士就きて學ぶもの、雲集その數を知るべからず。當時加賀藩に在りて、門下の高足と稱せらるゝものに奧村忠順奧村脩運青地齊賢青地禮幹小寺遵路小谷繼成・山根敬心ありて、之を室門の七才といへり。
鳩巣經學の餘暇、文章詩賦亦卓偉、長短手に任せて成る。その筆力九鼎に比すべし。嘗て朝鮮の國使來聘せし時、命を奉じて學士李礥等と唱和す。その詩文若干篇及び叙三韓事蹟二百二十韻の作あり。亦嘗て寳永五年新井白石に寄せたる立國慶徳百韻の作あり、白石嘆賞して昭代の盛事なりといへり。葢し鳩巣の詩は、白石に一籌を輸するものあるに似たりといへども、而も長詩をその集中に有するに至りては、白石遙かに鴻巣の後に瞠若たらざるを得ず。若し夫聖典の微旨を發明するに至りては、海内の士鳩巣に敵するものなし。其の木鐸の餘風一時に波及し、延きて今日加能二州の文化に及ぶもの、實に大幸なりといふべし。享保十九年八月歿する時、年七十七。著す所鳩巣文集四十卷等甚だ多し。後明治四十二年九月十一日に至り從四位を贈らる。
宮 腰 行
 宮腰之海越中南。繚遶雄州郡三。春接大荒天地濶。曙分元氣象緯含。長川引流青羅帶。積雪挿空白玉簪。巨浸東注粟崎曲。粟崎曲裏渟爲潭。漁村參差岸兩頭。雙橋相映明晴嵐。去年泛橋下發。舊遊在目心所諳。柳邊殘鶯飛翩翩。沙上乳燕語喃喃。煙霞縹緲山如畫。鳧雁悠揚水似藍。返照飜波霽潭上。漁人下網髮毿毿。薄暮船頭買魚得。匏樽有酒魚亦甘。錦鱗聶爲。金虀玉膾嗟何堪。中流横棹歌。棹歌一曲酒正酣。三島十州恍若視。馬韓鷄林望相參。蝉蛻塵世都如忘。顧視平生空自慙。如何驅馳州郡勞。從來辜負風月談。莫言乘桴非我事。生志四海知是男。

謀野亭記
 出州郭西行三里。始得野村孟固氏之園。宮腰之濱縁其右。大野之原迤其左。墳衍廣莫。直與海接。而陂田萬頃。溝塍利縷。綺錯鱗次乎其間。黍稷油油。桑麻成林。自園中之亭。伏而對之。如身處隴畝之間。終日與田畯野老。相忘而爲侶。雖山泉之勝。遊覽之娯。亦足以矜野趣之夷曠。適物之自然。孟固氏嘗招余而遊於亭上。顧而謂余曰。吾未以名亭也。願子命之。余曰。亭臨郊原之上。請以謀野之何如。普鄭裨諶謀於野則獲。謀於邑則否。夫以裨諶之善謀。不於邑。而獲於野者何也。豈非寛閑之野。幽閴之地。有於爲謀者歟。今子爲師長。事君於朝。帥士於國。治職於家。而又因其暇日。讀書會友於此亭。與古之人謀。與今之賢謀。論思其所以事君帥士治職之道。則其所嘗謀於邑而不獲者。必有於此矣。然則子之嘉謀令猷。此享有以成之也。子之美譽芳聲。此享有以助之也。且人生各有謀。君子勞心以謀道。小人勞力以謀食。無君子之謀。無以治小人。無小人之謀。無以養君子。今夫國中之民。力稼穡米穀。以養朝之士大夫。爲士大未者。居然徒食。不力謀道以治其職焉。則共有於民也多矣。今士大夫之從子遊者。觀夫春耕秋穫。相尋於此亭之下。則安得民事之勞。自反而思其職哉。鳴呼其取於野而自爲謀也如彼。其取於野而爲人謀也如此。宜可以名亭爾。遂書其語。以爲記。