石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

羽黒成實、初の名は成仁、字は養潜、迂巷と號す。近江彦根の人なり。本姓は牧野。父は井伊直興に仕ふ。成實父歿するの後故ありて仕を辭し、京師に出でゝ山崎闇齋の門に入る。闇齋の晩年神道説を立つるに及び、成實之を喜ばず。益程朱の言を尊び、洙泗の源に溯り、伊洛の流を極め、正學を講明するを以て己の任となしゝが、天和中に至りて加賀に來寓せり。葢し室鳩巣と舊交ありしを以てなり。是に於いて從學するもの頗る多かりしが、奧村脩運青地齊賢青地禮幹等その主たりき。執政村井親長亦重禮を以て之に學び、その衣食を給す。元祿七年三月成實天道流行圖説を著して上木す。後舊君の辟によりて彦根に歸る。その本に在ること十七年なり。葢し金城に儒教の盛なること實に成實より始る。元祿十四年正月歿す、年七十四。徂徠曾て曰く、予が少年の時牧養潜先生といふものあり。加陽より來りて余を紫芝社中に訪ふ。其の人豪傑の士にして口を開けばその肝腸を見る。世儒が防畛を設け邊幅を修するごとき者に非ざるなりと。成實の經學に於ける、志を厚くし思む深くし、頤を探り微を闡き、實に一世に重きをなす。然れども詩賦を喜ばず。故に儒名籍甚なりしといへども作詩に於いては聞ゆる所なし。左に録するものゝ如きは、拙劣澁晦固より見るに足らずといへども、その儒術の發露になれるもの、亦以て其の爲人を證すべきなり。
元   旦
 今朝七十二年春。日暖天晴心亦新。自古難忠孝事。唯仁斯已報先人