石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第三節 漢學(下)

前田光高利常の子なり。光高資性聰慧、父の志を繼ぎて學を好み、小瀬道喜を侍讀となし、又松永昌三を招聘せり。その江戸邸に在るや常に林羅山を招きて經を講ぜしめ、且つ和歌を嗜みて中院通村・烏丸光廣に師事し、連歌はこれを昌程・昌佐・紹巴等に學べり。人となり彜倫に篤く、聖經を崇び神を敬し、教を立てゝ能く人を導く。葢し加能の地肇めて文學あるを知り且つ洙泗の旨を味へるは、既に利長の世王伯子祿せるに起れりといへども、當時猶草創に屬し奎運未だ發揚せず。然るに光高の世に至り、光華閃として耀くを見る。その功徳亦偉ならずや。惜しいかな世に在るの日尠く、未だその志を遂ぐるに至らずして中道に夭折せり。光高齡十八九の時、遺訓五十餘條及び教訓歌一百首を著す。皆人臣鑑誡の言にして、辭理明暢、教戒親切、世道人心を稗益するの功決して少しとせず。實に是明君諫臣の規法にして、水戸光圀の西山遺事・尾張義直の温知政要を凌駕するのみならず、二侯の著に先だつこと二十年若しくは八十年、干戈漸く戢りて文教未だ大に萠さゞるの前に在りて是を言へり。是豈二侯の爲に誘導の任に當りしものにあらずや。其の他著す所一本種あり。漢文を以てせるものには自論記一卷あり。自論記は寛永十九年光高二十八歳の著にして、哲理を談じたるなり。