石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第二節 漢學(上)

當時奧村榮實・奧村惇叙相繼いで學校奉行となり、經學の傍詩文を弄したりといへども、その作佶倔にして見るに足らず。寺島兢・上田耕二人亦學を好み、經濟の論に長じたりしも、詩賦はその本領とする所にあらず。その他或は職を明倫堂に奉じ、或は帷を金城に下し、各學術を以て末の奎運に貢献せるものも、之を詩客とし文人として目すべからざるもの比々皆然らざるはなし。この間僅かに異彩を放つものを求むるときは、千秋藤範有磯と永山政時亥軒との二人に指を屈せざるべからず。藤範は慷慨愛國の人、昌平黌に學びて最も詩賦に長じ、後の世子前田慶寧の師となり、政時は安積艮齋の門より出でゝ明倫堂の教職に居り、文辭富瞻亦時流の上に一頭地を拔けり。若し夫れ越中の人杏立凡山の來りて本に仕ふるに至りては、鬱勃の氣を胸底に藏し、之を發揮するに雄偉洗錬の文字を以てし、諷刺を洒脱の語句に藏し、自然を艷麗の筆底に驅使す。詩人の面目をして躍如たらしめしもの、實に之を以て末の第一人者に推すべし。