石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第二節 漢學(上)

詩佛既に去るの後、その勢力猶牢として拔くべからざるものあり。遂に大島桃年等は、黌の教育が專ら經籍の訓詁を授くるにあるを以て、學生皆一編の小品文をも作爲するの力量なく、一首の短詩を吟出するの雅懷すらなきに至りしを慨し、天保八年意見六十四條を上りたる中に、『詩作の儀は、遊藝に屬し、畢竟浮華に流れ、實學の妨に相成候樣に申なし候者も有之候得ども、左樣の課にては無之候。凡人たる者は、一事養性の興は舞之て不叶者にて、無益の游戲に、時日を費し候儀多く有之候。詩作は學者相應の游藝にて、其上幼少より文事に携はり候得ば、心外へ馳不申、自然と學問を樂み候境へ至り、優游浸灌の味有之、風流温籍の氣を養ひ候。文章は別而學者の心掛くべき品にて、讀書の基本にも相成可申候得ば、好み候人には爲致申度候。』と記し、諄々としてその必要を論じたるに拘らず、當時の學頭は之を採用するの不可なる所以を建言したりき。その眼孔の小なる想ひ見るべきなり。而も生氣の盛なる遂に能く壓迫すべからず。いくばくもなく詩賦黌の一科目として課せらるゝに至りしこと、末學士の詩集中に明倫堂課題と註記したるもの往々にして存するを見て知るべし。