石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第二節 漢學(上)

かくの如く程朱學は頗る隆盛なるに至りしが、その間亦異説を述べ、別旒を立つるの士なきにしもあらず。元祿の比來り仕へたる中島保祐の闇齋門より出でゝその學を尊信し、尋いで臼田香の美濃より來りて古學を唱へしが如きは即ち是にして、香は伊藤仁齋の門に遊び、研鑽十有餘年、程朱を排し徂徠を斥け、聖言を曲解して一世を脾睨せり。又加藤惟寅あり、伊藤東涯に從ひて古學を受けたり。延享中由美希賢召されて金城に來る。希賢初め貝原益軒に學び、後に物徂徠に從ひ、餘暇老莊浮屠より小説稗史に及ぶ。その群書を綜覽して博識宏通するを以て、國卿横山隆達大に之を尊信せり。次いで寛延寶暦の際、深山安良の家を擧げて中越より金澤に移るありき。安良博覽強記、天性特に詩に長じ、格調雄偉構想雅馴、藝苑の士一時之に和す。若し夫れ經義に在りては、新奇俗を喜ばしむる説をなして傲然世儒を眇視せり。是に於いて學風爲に一變し、經を講ずるものは新註古註併せて之を商較し、呉廷翰・郝敬・毛龜齡等の糟粕を甞めて以て自ら一家の見となすもの滔々俗をなし、程朱の篤學切要を迂遠なりとし、仁齋を排斥して徂徠に左袒せり。故を以て、誠實學を講じ、省察存養の工夫をなすものなく、其の端一たび開けて風俗澆漓世を擧げて儒士を謗り、詩賦の末技にのみ趨きしもの、是を學風の一大變遷となす。降りて明和の末より鴇田忠厚あり、折衷の學を唱へて高標自ら持せり。又文化の頃に至り、澁谷潜藏ありて越中より來り、諸説を折衷して別に獨創の見を開く。江都の餘熊耳が潜藏に與ふる書に曰く、『其於大學論辯高妙。今之學者不朱考亭物徂徠之義周旋。而足下超乘於二子之上發揮如此。可卓見矣。』と。その推賞せらるゝこと此くの如し。