石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第二節 漢學(上)

第五世前田綱紀は先考の遺志を襲ぎ、進みては魯論學庸を幕府の高閣に講じ、退きては則ち詩筵を設け、その晏息の處なる江戸育徳園に優游し、禮を厚くして學士を待てり。是に於いて異才の士諸方より集り、封内の文物亦彬々として盛に、絃誦の聲日夜絶えざるに至る。即ち萬治三年木下順庵京都に在りて加賀藩祿を受け、次いで松永昌三の子永三も同じく我に仕へ、平岩仙桂も亦褐を釋き、寛文五年には澤田宗堅、同六年には中泉恭祐、同十二年には僧高泉の來るあり。延寶三年に五十川剛伯あり。同六年に木下順信あり。天和に羽黒成實あり。貞享元年に室鳩巣あり。正徳四年に兒島景范あり。何れもその經學詞藻を以て來りて君侯に侍せり。而してその才を以て論ずれば彼等各長短ありといへども、聖經の幽頤を闡き詩賦文章の場裡に翺翔せるに至りては則ち相似たり。中に就きて木下順庵室鳩巣二人を以て翹楚となし、特に門下に秀頴を出せるは之を大書するの價値ありとすべし。その後延享年間に由美希賢あり。明和の末に伊藤嘏あり。鴇田忠厚あり。いづれも加賀侯に登庸せられたる學士中の錚佼を以て稱せられ、本漢學が隆盛に赴けるもの實に彼等外來の儒員が之を鼓吹したる功多きによらずんばあらず。然るに寛政四年前田治脩黌を起すに及びて、教學の具初めて備り、爾後學士文人を封外の出身に待つこと自ら止むに至れり。