石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第一節 學校

是より先二年五月、嵯峨壽安露國遊學を命ぜらる。壽安の『予素草莾布衣兒。今辱君命魯夷。唯願他日鍛錬鐵。鋭爲秋水皇基。』といへるは此の時の感懷なり。壽安は市醫嵯峨健壽の子にして、萩浦と號し、初め醫を黒川良安に學び、次いで江戸に出でゝ村田藏六の塾頭となり、又長崎に遊びて語學を露國教師ニコライに受けしものなり。壽安乃ち三年一月を以て米國汽船に搭し、横濱を發して函に赴き、五月露艦エルマーク號に便乘して浦鹽港に上陸し、渺茫千里の野を踏破してノブゴロツドに至り、汽車に乘じて聖彼得堡に入る。時に四年一月七日なり。既にして廢に遇ひしが壽安は尚露都に留り、七年に至りて歸朝せり。邦人の西比利亞を横斷せしもの、實に壽安を以て初とすといはる。