石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第一節 學校

明治元年軍艦奉行稻葉助五郎、私に學生神戸清右衞門・不破與四郎・黒川誠一郎・馬島健吉四人を率ゐて歐洲に航す。次いで二年四月岡島喜太郎・佐野鼎關澤孝三郎吉井保次郎伍堂卓爾命によりて歐洲派遣せられしが、喜太郎以下三人は事によりて香港より歸國し、保次郎と卓爾とは所期の目的を達せり。翌三年卓爾外國人三人を教師に雇聘するの約を結びて歸る。その一は和蘭一等軍醫ペイ・ア・スロイスとし、一は普魯西鑛山學士イ・フオン・デル・デツケンといひ、一は英吉利語學教師リツテル・ウオードといふ。然るにウオードは赴任の途、明治四年三月大聖寺に來りて痘を病み、終にその地に死せり。墓は大聖寺の城南出村山に在り。

 比慈律甸宇旺獨。英國人也。我聘招欲語學。客途患痘。抵加賀大聖寺而死。歳三十。實皇明治四年三月六日。西洋紀元千八百七十一年四月二十五日也。越二日。葬大聖寺城南出村山金澤藩少參事岡島一式以下。諸官員莅焉。又使文學教師永山平銘其墓。銘曰。
  生歐邏巴。 死亞細唖。 有數焉存。 豈敢憶家。 但志不遂。 奈之何噫。
    是歳(明治四年)七月       大日本加賀金澤藩乏   文學教師  山田 宣書
〔宇旺獨墓誌〕