石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第一節 學校

明治元年十月黒川良安命を受けて、その子誠一郎及び横井三柳二人を伴ひ、長崎に至りて醫學校及び病院の制度を調査し、翌二年五月二十日人體模型・醫療機械・藥品品び長崎病院教師マンスルト氏の講義録を購ひて歸り、新たに醫學館設立計畫主任を命ぜられたりき。此の時恰も政府の布告を發して醫學奬勵するに會せしかば、は三年二月醫學館を大手町なる津田玄蕃の舊邸に創立し、養生所内に在りし醫學生徒をこゝに轉ぜしめ、又病院を一般患者治療の所となし、養生所を改めて卯辰山貧病院といひ、貧民及び獄中の患者を治療せしめ、別に小松高岡・魚津の三ヶ所に貧病院出張所を設け、施藥及び種痘を行へり。こゝに至りて始めて學校を主とし病院を從とするの制となる。醫學館の設立に盡力せしは、黒川良安を筆頭とし、太田美農里田中信吾津田淳三・高峰精一等之に次ぎ、その教師に任ぜられしものも亦彼等を巨擘とせり。醫學館の開かるゝや、三月金澤藩學政所は布告を發し、這次創立せる醫學館に於いては、本年十月教師として蘭醫の來任するものあるべきが故に、醫・町在醫者及び百姓町人の志願者に入學を許し、内塾生は塾中に寄宿せしめ、外塾生は日々通學せしむべしといひ、次いで本の規則を制定せり。
醫學館規則
 今般醫學館御取立、是迄流弊改正候條、銘々厚く心を用ひ規則を守り、等級を經て他日精業に至り候樣可勉勵者也。
 一、一統協和勉勵を旨として、決して爭論ヶ間敷儀不相成候。萬一不平之事件有之節者、禮節を正し友誼を以て互に致忠告、朋友の道を不失事。
 一、學生之面々者、學問之外無他事ものに候得者、一途に切磋勉勵を旨とし、猥に政事之是非世人之批判を談ず可からざる事。
 一、飮酒放歌は勿論、總て亂暴之振舞禁止候事。
 一、入塾之生徒は先語學・算學・究理・舍密等小學之數科を研究し、而後解剖學・生理學より治療・飜譯に至まで其等級を踐で學ぶべし。晩學の徒は固より語學・算學・究理に費すの時日なし。因て員外と定め、講義を聞き飜譯書を輪講し、旁ら病院之病客に就き治術研究可致事。
 一、入塾之生徒猥に下宿不相成候。下宿致度者其父兄より願出し、他所の者は其請人より願出づるにあらざれば之を許さず候事。
 一、外人應接は應接場之外私席に誘引不相成候事。
 一、書籍器械等粗暴に取扱申間敷事。
 一、毎月一六・休日之外他出不相成候事。但他出候とも暮六時を限り歸塾可致事。
 一、教師席に各名の名牌を懸置候條、出入毎に各名必ず牌背と牌表とを懸換へ可申候事。
 一、塾中之面々へ豫て小名牌を渡置候條、鎖門後各教師席に差出可申事。
〔明治三年觸留〕