石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第一節 學校

かくて醫學の研究は、兵學の進歩と相待ちて益旺盛なるに至りしかば、慶應三年七月更に壯猶館より獨立して卯辰山養生所を設立し、黒川良安津田淳三太田美農里田中信吾相繼ぎて之が棟取に任ぜられ、學理の研究と共に臨床治療に從事せり。これ即ち病院を置きたる始にして、當時入院患者三四十名ありしといふ。養生所の構造は、數棟の病室を分かちて上中下の三等と爲し、別に診察室・手術室・調劑室・精神病者室・醫員室・宿直室・看護夫室・事務室・浴室・炊事場あり。醫學局之に附屬し、分かちて教室・寄宿含・教員役宅とし、その附近に藥圃・舍密局・雷澒局・醋酸局・普請局等あり。舍密局は主とし製藥の事に當り、高峰元稜[後精 一]之が綜理に任じ、丘村隆桑・遠藤虎次・旗文次郎之に參與せり。製藥の種類は、硫酸・硝酸・鹽酸・舍利別・丁幾・越幾斯類なり。又別に撫育所を設く。撫育所は都べて八棟にして、別ちて三種とす。一は株小屋といひて家族を有するものを收容し、二は男小屋、三は女小屋といへり。又浴室・役員室・作業場等ありて、その作業場は收容者の作業の種類に從ひて數棟に分かつ。養生所は明治三年二月に至るまで繼續せり。