石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第一節 學校

かくて西洋式の炮術は、壯猶館創設以來練習する所なりしが、慶應二年前田慶寧の封を嗣ぐに及び、兵制に大改革を加へ、主として新式銃炮を用ひ、同年六月與力及び歩士の子弟を以て大炮隊を編成し、翌月舊式の和銃を使用するを職とせし異風組を廢し、又從來壯猶館にて採用したるゲベル銃を止めて、英國製エンペル施條銃を用ひ、尋いで五十間の堋場を卯辰山・小立野・大豆田の各地に作りて、銃隊の士卒にその技を練習せしめ、城内にも亦堋場を新設し、侍臣に射撃の技を習はしめき。三年五月經武館の後方に馬埒を設けて馭術を修めしめ、十月大小將組・馬廻組・定番馬廻組・組外組(クミハツレ)の諸隊を廢して悉く銃隊と爲し、定番馬廻頭以下を罷めて銃隊馬廻頭銃隊物頭・炮隊物頭等を置き、別に寄合馬廻組を置きて老幼二者を之に屬せしめ、又舊來の大組・中組・留守居・聞番等に屬する足輕を擧げて、割場奉行の統率する所となし、その奉行を中隊頭と稱せしむ。後更に大炮歩士頭を新設せり。此の時小銃は英國製のものを用ひたりといへども、練兵は尚蘭式なりしなり。