石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第三編

第三章 學事宗教

第一節 學校

明倫堂に於ける學科中、醫學に關するものありたることは頗る注意せざるべからず。醫術の研究は、元來師家に就きて醫書を讀み診療の法を傳習するに止りしが、公私の醫師日を定めて相會し、講説若しくは輪讀の法によりて互に切磋琢磨することゝなりたるは、醫育上著大の進歩なりといはざるべからず。この事たる實に寛政四年學校創立の時に於ける計畫中の一にして、同年六月の時間割覺書中に『醫學並本草の稽古の爲め、毎月兩日程日を極置可申候。』とありて、之に基づける同年の學校稽古割には『朔日四半時より醫學・本草等○十五日四半時より醫學・本草等』と記し、一ヶ月中二日を醫學の稽古日と定めたりしが、この時未だ擔任教師を得ること能はず、隨ひて開講の機運に達せざりしなり。

 朔望醫學・本草講釋候に付、御支配御醫師、並に公事場三ヶ所掛り町醫師、曁町醫者聽聞に罷出候儀に候間、右講日は指出被成候旨致承知候。醫學學頭未極り不申候間、相極、講釋御座候はゞ、人々承合罷出候樣御申渡可成候。以上。
     七月四日(寛政四年)                     不  破  和  平(浚 明)
      高畠五郎兵衞
〔日本教育史資料〕